柿渋ハッスイ米袋の米ブログ

米袋を超えた米袋の米ブログ、柿渋ハッスイ米袋の歴史物語〔人物名は仮名〕

発明

【13話】電気保冷庫を超える米用保管庫を発明

 〔ハッスイ米袋第13話〕
普通の米袋に手作業で柿渋ハッスイ加工の方法を考案する。
平成5年、高橋二郎はこのハッスイ紙事業の、すでに市場で莫大な需要がある柿渋ハッスイ米袋の製造に専念するために長年勤めた貿易商社のN物産を退職し個人事業を発足させた。そこでまず市販の米袋の表面に手作業で柿渋ハッスイ加工をする製造方法を考案し、米袋メーカーに米袋製作を依頼したが米袋業界の販売競合商品になるとのことで米袋の製作依頼に難色を示した。
普通の米袋を製造してもらうために柿渋ハッスイ保管庫を発明。
そこで平成7年に高橋二郎は柿渋ハッスイフィルターを使った柿渋ハッスイ保管庫を発明した。(それに柿渋ハッスイ米袋をサービス品として添付)それが各新聞雑誌に掲載された。

(穴あき鋼板型はBベルトのOEM商品として全農を通じて農協ルートで販売)
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(積み上げコンテナ型はY農機のOEM商品としてY農機ルートで販売)
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柿渋ハッスイ保管庫と柿渋ハッスイ米袋が学会発表となる。
平成9年高橋二郎は柿渋ハッスイ保管庫と柿渋ハッスイ米袋について日本で農業(特に米)に詳しいT大学のK教授に出会い性能研究の依頼をする。

             〔結果〕
(平成10年学会発表)電気保冷庫と同等の食味で古米臭や害虫は認められない。
(平成11年学会発表)夏期でも玄米の脂肪酸度の上昇を抑えると考えられる。
(平成12年学会発表)ハッスイ米袋内のガス環境が玄米の脂肪酸度上昇抑制に影響すると考えられた。
柿渋ハッスイ保管庫と柿渋ハッスイ米袋の登場で業界は大激震!
業界A社からB公的機関を通じてC県全農に対して山本一郎なる人物はもとから存在しないとの抗議文が出された。これに対して高橋二郎は証拠書類を提出し全面撤回をさせた。

柿渋ハッスイ保管庫の販売形態。
この柿渋ハッスイ保管庫はBベルトのOEM商品として全農を通じて農協ルートで販売される。また別デザインでY農機のOEM商品としてY農機ルートで販売される。

柿渋ハッスイ保管庫は電気がいらない常温保存の玄米用保管庫として大変話題になり、製造数量的に地域限定での販売ではあったが、今人気の玄米用電気保冷庫をはるかに超える販売台数で供給が不可能となり柿渋ハッスイ保管庫の製造を終了。それに代わり同じ保存能力で簡素な柿渋ハッスイ米袋30kgの手造り製造に移行した。
 


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【3話】1人の発明家が大企業を救った

   〔ハッスイ米袋第3話〕
ここに山本一郎の数々の発明振興に関して、一つの逸話がある。
今や世界的企業とされるYチャックが当時、企業存亡の岐路にあったとき、
山本一郎のアイディアで会社を救済したことがある。そのとき神仏のようにY社長より手をあわせて感謝をされた。

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【2話】天才発明家の戦後

  〔ハッスイ米袋第2話〕
戦後、山本一郎は発明協会会長等を歴任し企業の発明振興に助力しながらこの防湿性撥水性の技術に加え強靭性を有した包装フィルターの研究に着手する。そして昭和29年製法特許を取得、全国優秀発明名鑑に登載される。

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【1話】ハッスイ米袋の生みの親

  〔ハッスイ米袋第1話〕
ハッスイ米袋の生みの親は、明治39年生まれの天才発明家、山本一郎(仮名)であった。
戦前の山本一郎はそれまで不可能とされていた、防湿性撥水性の電波兵器用カバーを発明し、昭和16年4月29日の天長の圭節にあたり当時、現人神といわれた天皇陛下より金一封ご下賜の光栄に浴する。

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