〔ハッスイ米袋第10話〕
昭和53年、資金ショートに陥った
山本一郎は、発明協会会員の高橋二郎(仮名)に相談をもちかけた。当時、高橋二郎は貿易商社N物産の若手社員であった。結果、N物産より資金の調達がなされる。その交換条件としてハッスイ米袋の基本となるハッスイ紙の製造ノウハウや特許内容などハッスイ技術のすべてを高橋二郎に伝授した。その高橋二郎はアメリカからこのハッスイ紙を使って、アーモンドや木の実の保護用材を製造するように依頼を受けて輸出することになった。そこで山本一郎ハッスイ米袋の手作業製造と国内向けハッスイ紙製品の研究開発に専念することとなった。

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