〔ハッスイ米袋第9話〕
当時、一般の米袋は人手多数の手作業生産であったがだんだんと機械化大量生産に移行していった。そのとき業界大手からこのハッスイ米袋の特許料を支払うので大量生産したいとの依頼があった。しかし
山本一郎はそれを断って、昭和50年に莫大な資金を投じ1日20万メートルのハッスイ紙ができる大きな工場を建立した。その途端に業界からの圧力で米袋の機械化大量生産に必要な袋口用の規格紙ヒモの入手が困難となりこのハッスイ米袋だけが手作業生産を続けざるを得なくなった。この手作業生産能力は年間30万袋にもならず、食糧庁許可のこのハッスイ米袋が、全農や国の検査用米袋として年間数千万袋もの需要がありながら、全農や国に対してこのハッスイ米袋を供給できる体制にはならなかった。

 (当時の手作業による米袋口と米袋)
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   (米袋口ヒモの拡大部分)
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(当時のハッスイ米袋の表示拡大部分)
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[ハッスイ米袋第1の危機回生は]
全農や政府へこの食糧庁許可の検査用撥水米袋を供給するのには、機械化による大量生産の実現が不可欠となる。

この米袋は米袋の中の米袋の米袋を超えた米袋 
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