柿渋ハッスイ米袋の米ブログ

米袋を超えた米袋の米ブログ、柿渋ハッスイ米袋の歴史物語〔人物名は仮名〕

【10話】ハッスイ米袋の継承者との出会い

 〔ハッスイ米袋第10話〕
昭和53年、資金ショートに陥った
山本一郎は、発明協会会員の高橋二郎(仮名)に相談をもちかけた。当時、高橋二郎は貿易商社N物産の若手社員であった。結果、N物産より資金の調達がなされる。その交換条件としてハッスイ米袋の基本となるハッスイ紙の製造ノウハウや特許内容などハッスイ技術のすべてを高橋二郎に伝授した。その高橋二郎はアメリカからこのハッスイ紙を使って、アーモンドや木の実の保護用材を製造するように依頼を受けて輸出することになった。そこで山本一郎ハッスイ米袋の手作業製造と国内向けハッスイ紙製品の研究開発に専念することとなった。

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最大級パワースッポット

♪・機械化の・大量生産・願をかけ・♪

ハッスイ米袋
発信の当地、高砂にある最大級パワースポットの鹿島神社をご案内いたします。鹿島神社(地元の村の管理)は、昔から一願成就で有名なパワースッポットです。昭和48年ごろその一願成就のパワーにふさわしい世界最大級のヒノキ鳥居を建立しようと世界中木材を探しましたがもちろん日本にはなく台湾で巨大なヒノキ(台湾ヒノキ)を発見しました。しかし当時、地元の村の予算が少なくその購入価格に躊躇している間に台湾ヒノキが国有化(国宝)されて輸出禁止になってしまいました。それから苦節二十数年の平成十年に世界最大級のチタン鳥居は完成いたしました。
   世界最大級のチタン鳥居
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この台湾ヒノキの関係で逆に台湾との親交が深まり、その後に台湾大理石で世界最大の狛犬の制作を依頼しました。天然大理石でこの大きさのものはほとんどにヒビ、スジ、キズがあるものですが、奇跡的にまったく無傷の台湾白大理石の原石が見つかりました。それを台湾の人間国宝である彫刻家が見事に彫り上げ、このような雄大で美しい狛犬となりました。そして今では鹿島神社参拝の人々を静かにお迎えしております。(写真左の阿形の狛犬の口の中には自由に動く大理石の玉をくわえております)
   最大級!台湾大理石の狛犬
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一つの願い事は必ずかなうことで有名な鹿島神社です。ミズホの場合一つの願い事がかなってからまた次の一つの願い事をして今ま三度かなって実現したように思います。今は四度目の願い事としてハッスイ米袋の機械化大量生産の実現に願をかけております。もちろんミズホの努力が最大条件とはなりますが・・・・・
   一願成就の本殿と参道
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                 〔米が3年保つ米袋屋〕  j88.jp

【9話】ハッスイ米袋の危機〔その1〕

    〔ハッスイ米袋第9話〕
当時、一般の米袋は人手多数の手作業生産であったがだんだんと機械化大量生産に移行していった。そのとき業界大手からこのハッスイ米袋の特許料を支払うので大量生産したいとの依頼があった。しかし
山本一郎はそれを断って、昭和50年に莫大な資金を投じ1日20万メートルのハッスイ紙ができる大きな工場を建立した。その途端に業界からの圧力で米袋の機械化大量生産に必要な袋口用の規格紙ヒモの入手が困難となりこのハッスイ米袋だけが手作業生産を続けざるを得なくなった。この手作業生産能力は年間30万袋にもならず、食糧庁許可のこのハッスイ米袋が、全農や国の検査用米袋として年間数千万袋もの需要がありながら、全農や国に対してこのハッスイ米袋を供給できる体制にはならなかった。

 (当時の手作業による米袋口と米袋)
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   (米袋口ヒモの拡大部分)
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(当時のハッスイ米袋の表示拡大部分)
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[ハッスイ米袋第1の危機回生は]
全農や政府へこの食糧庁許可の検査用撥水米袋を供給するのには、機械化による大量生産の実現が不可欠となる。

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